で、その世界トップ級のTokyoCantatクロージングコンサートに行ったら、実際はどうだったのでしょうか。

やはり実際に大変なものでした。一つだけあげるならエルヴィン・オルトナー指揮合唱団響(Tokyo Choir Kyo 音楽監督:栗山文昭)によるブラームスの「ジプシーの歌」。

オルトナーはウィーンのシェーンベルク合唱団の指揮者で、アーノンクールのほとんどの合唱付きの仕事はこの合唱団と行われています。バロック系はもとより、私はアン・デア・ウィーン劇場でストラヴィンスキーのオペラ「放蕩息子の成行き」をアーノンクール指揮で拝見しましたが、その時の合唱もここでした。

そんなことまでやっていて、アーノンクールの業績の半分くらいはこの合唱団のおかげといいたいくらい。そこの指導者ですから凄腕には決まっています。

どう凄腕か。アーノンクールの下で地味な音程などを整える仕事をきっちりやっている・・・・・のでは全然なく情熱むき出しのタイプ。
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このブラームスでもスコアどころか指揮台もありません。日本のコーラスだと合唱団は結構暗譜して指揮者は念のためスコアを見ることが多いです。この日はその逆。

もちろん暗譜すればいいというものではなくて、暗譜してつまらない音楽は日夜みかけますが、オルトナーさんともなればそのレベルであろうはずはなく、ジブシーの歌の全音符は体に染み付いているのでしょう。

真ん中に蓋がフルオープンされたピアノがあり、その前でオルトナーさんが振ります。蓋が邪魔で指揮が見づらい合唱団員もいるかな、とか最初はくだらないことを思ったりしましたが、すぐにそんな考えは吹っ飛びました。

轟然とブラームスが鳴り渡り、魂が入るとはこういうことか、と。

ピアノはこのフェスティヴァルなら、もちろん、ということで寺嶋陸也さん。作曲家としても作品提供やら大忙しですが、やはりここでピアノといえば彼しかいないでしょう。ああいう指揮のもとでわかっていないピアニストが足を引っ張ったりしたら大変ですから。結果的にも、さすがの読みとバランスでした。

他のカール・ホグウッド指揮、サイモン・キャリントン指揮もそれぞれ個性がはっきりしていて、三様のトップ級に浸りきったフィナーレでした。

毎年、内容とプログラム誌が充実していて、広報、対外的アピールがいまいち、という印象の同フェスティヴァル。来年もこういう感じでいくんでしょうね。